2014年に入って日本のガラパゴス化はさらなる進化を遂げた。いわゆる『弱虫ペダル』のファン層がリアルロードレースに足を向け始めたからだ。彼女たちは(女性が多い)若くて、そしてかわいい。ビンチェンツォ・ニーバリやラファウ・マイカなんか見たら黄色い歓声で大騒ぎだ。
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先日、お手伝いさせていただいた結婚式で

とっても素敵なキセキが起きました。

お父様のことがとても大好きなご新婦。


一足さきに海外で挙げた結婚式で

お父様とバージンロードを歩いた時の

幸せだったそのときの気持ちを嬉しそうに何度もお話してくだいました。

バージンロードを歩くご新婦とお父様のお写真も見せて頂き、

お父様の表情を見ていたら、

きっとお父様も愛する娘へ伝えたいお気持ちが

たくさんあるんだろうなぁと感じました。

花嫁の父こそきっと心に秘めた様々な想いがたくさんあるはず。


でも、なかなか披露宴の中で花嫁の父が想いを伝える機会はありません。

なければ、つくればいい。

というわけで、

ご新郎のご協力のもと

ご新婦のお父様へ連絡をし、

愛する娘へ伝えたい素直なお気持ちを

お手紙につづってきて頂くお願いをしました。

照れくさくて無理、と断られるのも覚悟していましたが

思いのほか、

「伝えたいことがたくさんありすぎてうまくまとめられるかな・・」

という前向きなお答え( ´艸`)

披露宴当日、お父様のお席へご挨拶へうかがいました。

「お手紙、、、、書いていただけましたか?」

そんな私の質問に

照れくさそうに胸ポケットから取り出したのは、

くしゃくしゃの紙。

それは、何度も何度も書き直し、

読み返した跡の残る

くしゃくしゃになったお手紙でした。

そのくしゃくしゃの手紙を見た瞬間

何だか色んなお父様の想いが伝わってきて

思わず胸があつくなってしまいました。

披露宴も終盤。

本来なら花嫁のお手紙の時間。

「ここで、新婦から感謝のお気持ちを込めてご両親へお手紙を・・

といいたいところですが、その前に・・」

お父様にスポットがあたります。

驚くご新婦。

ざわめく会場。


前代未聞の花嫁の父のお手紙の朗読です。

「娘が生まれるとわかった瞬間、嬉しくて嬉しくて・・」


「幼いころはおてんばだった君、怪我をしないか毎日気が気じゃなくて・・・」

溢れ出す愛が溢れた想い出話に

新婦も会場のゲストも涙を流しながら聞き入り

本当に温かい優しい空気が会場を包んでいました。


そして、こんなエピソードが。


「君は小学生のころ、学校でいじめに合っていました。

毎日泣きながら帰ってくる君。

学校に行きたくないと駄々をこねる

君を厳しくしかってしまったこともありました。


けれど、君が眠りについた後、

厳しくしかってしまったことを後悔しながら

君の寝顔を眺めながら

この子だけは何があっても守りぬかなくては

どんなことがあっても自分はこの子の味方でいようと

頬を撫でて語りかけていたものでした。」

このエピソードがお父様の口から語られた瞬間、

ご新婦は堰をきったように顔を覆って涙されました。

その理由はすぐにわかりました。


いよいよ、花嫁からのお手紙。

そのお手紙の中に

なんとこんなエピソードがありました。

「私が小学生の頃、学校でいじめに合っていました。

つらくてつらくて、学校に行きたくなくて

そうお父さんに伝えると厳しく怒られたこともありました。


でも、泣きながら私がお布団に入ってしばらくたつと

お父さんはそっと私の隣にやってきて、

私のほっぺたを何度も撫でてくれましたね。


その手があったかくて優しくてとても安心して、

明日も頑張ろうと思えました。


お父さんはきっと今日まで

私がすっかり寝ていると思っていたと思うけど、、

本当は私、毎晩、起きていたんですよ。


お父さん、あのときはありがとう」

そういって、にっこりとお父様のほうに笑いかけるご新婦。


今度はお父様が顔を覆って涙される番でした。

何十年ぶりに魔法が溶けたように明かされた

ある日の父と娘の素敵な記憶。

お父様からのお手紙と

ご新婦からのお手紙と

その両方のエピソードが重なった瞬間、

幼い新婦の頬を撫でて優しく語り掛けるお父様と、

寝たふりをしながらそんなお父様の気持ちを嬉しく感じている

父娘の姿が、その情景が鮮明に浮かんできて、、、

私は、、、、会場の隅のPA室の裏に隠れて、、、もちろん号泣です。。。

会場も

この素敵な偶然のキセキに感動に包まれ

父娘に贈る温かく優しい拍手がしばらく鳴り止みませんでした。

そこにいる人のすべての心がひとつになった瞬間。

~ One Heart Wedding  ~

まさに体感した瞬間でした。

優しい記憶|ウェディングプランナー有賀明美オフィシャルブログI LOVE WEDDING Powered by Ameba

ヤバい。モニタが霞む・・・・( *´Д⊂ グスン…

(via gladdesign)

泣くわ。超泣くわ

(via kotoripiyopiyo)

泣いた

(via nakamuland)

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保育園のころ、魔法を使える先生がいた。

その人のことを、ここでは「まこ先生」としよう。30代前半で、職場では中堅のスタッフとして活躍していた。もちろん当時の私はあまりにも幼く、先生たちの年齢をきちんと把握していたわけではない。「若い先生/大人な先生/おばあちゃん先生」……それくらいザックリした認識しかできなかった。子供ながらに「まこ先生は頼りがいのある大人の先生だ」と思っていた。

まこ先生は、私が5歳のときの担任だ。

私が通っていたのは公立の保育園だ。高所得家庭の子供だけが集まる(?)私立保育園ならいざ知らず、様々な境遇の親たちが子供を預けていた。

とくに私の学年には、近隣の悪ガキどもが集結していた。暴れる、噛み付く、ひっかくのは当たり前。おもちゃはすぐに壊され、床や壁は汚される。みごとに手のかかる子供ばかりだった。すり傷やたんこぶは日常茶飯事だったし、親たちもいちいち目くじらを立てなかった。最近の保育園ではどんなに小さな怪我も許されないと聞いている。それに比べれば、なんというか、おおらかな時代だったのだろう。

私たちは3歳~4歳のときに数々の伝説を作り、悪評を確かなものにしていた。そして、そろって5歳児クラスに進級した。そこで出会ったのが、まこ先生だった。

その保育園は2人担任制だった。まこ先生のほかにもう1人、とても若い先生──ここでは「きく先生」としよう──が、私たちのクラスを担任していた。さらに時々、見覚えのない先生が来ていた。たぶんパートタイムの保育士を雇っていたのだろう。まこ先生ときく先生の2人の正規職員+パートタイムの計3人で、最凶の悪ガキ集団を迎え撃ったのだ。



きく先生は、子供からあまり好かれていなかった。

決まりごとに厳格で、ルール違反を絶対に見逃さなかった。たとえばお昼寝の時間。横にならない子供が1人でもいると、烈火の如く怒った。眠気があろうとなかろうと、子供たちを片っ端から布団に叩き込んでいた。私は昼間に眠くならない子供だったので、きく先生に監視されているお昼寝の時間がひたすら苦痛だった。

たとえばお散歩に出かけるとき、給食を食べるとき、そして読み聞かせをするとき。そんなときは、子供を1カ所に集めなければいけない。大人の言うことを聞かせなければいけない。ルールに厳格なきく先生は、きっと、号令1つで子供が動くのを理想としていた。「集まりなさい!」と命令すれば、子供たちが遊びをパッとやめて駆け寄ってくる。彼女はそういう状況を求めていた。

しかし私たちは悪ガキ様ご一行だ。そんなこと、できるわけがない。

言うことを聞かない私たちに対して、きく先生はヒステリックに怒鳴るだけだった。「集まりなさい!」「遊びをやめなさい!」「こっちに来なさい!」そして「言うことを聞きなさい!」……まこ先生が休んだときは、きく先生の怒声が教室に響くのだ。やがて子供たちも慣れてきて、きく先生の言葉を聞き流すようになった。「はいはい、集まればいいんでしょ?」みたいな斜に構えた態度を取るようになった。子供とはいえ、5歳にもなれば「話を聞くふり」ができるようになる。心の中では相手をバカにしているのに、態度だけ取り繕うことができるようになる。



まこ先生は違った。

たとえば子供を集めるとき。まず右手の指を3本、左手を2本伸ばして、胸のまえに突き出す。そして「あわせて、いくつだ!?」と近くの子供に聞く。相手はぽかんとしながら、「5つ?」と答える。「正解! それじゃ次は……」と、また違う組み合わせの指を差し出す。遠くから見ていた子供たちが(何か面白そうなことをしているぞ?)と気づいて、まこ先生の周りに集まってくる。

そして3分後には、クラス全員がまこ先生の前に集まって、われ先に「指の数クイズ」に答えようとしているのだ。

指の数を当てさせるだけではない。ある時は、なぞなぞを駆使していた。

「暗くって、暗くって…暗ぁ~いモノは、な~んだ!」

まずはかんたんな問題から。まこ先生の近くにいる数人が、声を揃えて「夜~!」と答える。

「正解! それじゃ次は……白くって、冷たくって、甘ぁ~いモノは、な~んだ!」

これもかんたんな問題。子供たちは大声で「アイスクリーム!」と答える。遠巻きに眺めていた子供も、(なんだか楽しそうだぞ)と近寄ってくる。

「次の問題は、ちょっぴり難しいよ~?」

もったいぶった口調で、まこ先生は言う。

「高くって、高くって、高~いモノは、な~んだ!」

「天井!」「屋根!」「うんてい!」

子供たちは口々に、自分の知っている「高いもの」の名前を上げる。

「ううん、もっともっと高いものだよ?」

遠くのほうで遊びに夢中だった子供たちか(まこ先生が何かしてる)と気づく。次々に集まってくる。

「えっと~、サンシャイン!」「東京タワー!」「富士山!」

子供たちは夢中になって、矢継ぎ早に答えを口にする。まこ先生は首をふる。

「いいえ違います!もっともっと、も~っと高いもの!」

いつの間にか、クラス全員がまこ先生の周りに集まっている。

そして声を揃えて、「「空!」」と叫ぶ。

「はい、正解です!」

まこ先生はニコッと笑う。

「それでは空を見に、みんなでお散歩に行きましょう!」


これは一例にすぎない。まこ先生はありとあらゆる手段を使い、悪ガキ連中を意のままに操っていた。優しいばかりではなく、イタズラをしたときは厳しく叱られた。私も何度かげんこつを落とされた覚えがある。それでも、まこ先生がヒステリックに怒鳴ることはなかった。

子供の主体性を引き出して、自発的に大人の言うことを聞かせる。

まこ先生の技術はまるで魔法だった。



     ◆



先日、まこ先生は長年務めた保育園をやめた。

定年よりも少しだけ早い退職だった。まこ先生いわく、体力が衰えたからだという。子供の抱っこがつらくなったから、もう保育士は続けられないと判断したそうだ。園長や役所の管理職を目指すのではなく、まこ先生は最後まで保育の現場に立ち続けた。

まこ先生のかつての教え子や、その親たちが集まって、ささやかな「お疲れさま会」を開くことになった。

私も同席した。20年ぶりに再会したまこ先生は、記憶のなかの姿よりもずっと小さかった。目尻や口もとには年相応のしわが刻まれて、「お酒は医者に止められているから」とウーロン茶しか飲まなかった。まこ先生はすっかり「おばあちゃん先生」になっていた。



きく先生が苦手だったこと。まこ先生はまるで魔法使いだったこと。

私がそんなことを話すと、まこ先生は控えめに笑った。

「きく先生だって、悪い先生じゃなかったのよ?」

ウーロン茶で口を湿らせて、まこ先生は続けた。

「たしかに、ちょっとマジメすぎる部分はあったけれど……でも、保育に対する情熱は私と変わらなかった。もしかしたら、情熱は私よりも強かったかもしれないわね。少なくとも『話を聞く子を育てたい』という目標は同じだった」

表面的な態度を取り繕うのではなく、心から大人の言うことを聞く子供。大人が与える言葉や知識を、すんなりと飲み込める子供。そういう子供でなければ、小学校に上がってから苦労する。幼児教育においても「保育目標」が設定されていて、子供たちを一定の水準まで育てあげる義務があるという。

「大人の命令を聞くという意味じゃないわよ」まこ先生は念を押した。「先生や親の授ける知識をスッと受け止めて、自分の頭で判断できるようになる。そのためには、大人の話をきちんと聞く子供でなくちゃいけない。私たち保育士がそういう子供を育てられなければ、その子の一生が滅茶苦茶になっちゃうわ」

責任の重たい仕事だったわね、まこ先生はしんみりと言った。

「だけど、ばつぐんに面白い仕事だった」

私は食い下がった。

「そうは言っても……やっぱり、きく先生のやり方がいいやり方だったとは思えません。子供たちはみんな、きく先生の話を聞く“ふり”をしていました。まこ先生のおっしゃる『目標』とは真逆ではありませんか?」

「そうね」

まこ先生は目を伏せる。

「気づいてほしかったけれど……。きく先生は気づいてなかったのかもしれないわね」

「気づくって、何に?」

子供は考えるのが好きだってことに」

昔のように、まこ先生はニコッと笑った。



指の数クイズも、なぞなぞも、まこ先生の技術は「子供に考えさせる」のが土台になっていた。「考える遊び」を駆使して、まこ先生は悪ガキどもに言うことを聞かせていた。

子供の「考える力」には個人差がある。

なかには頭の回転が速い子供がいる。言葉が達者で、口から先に生まれてきたような子供がいる。その一方で、ぼんやりしていて、何をするにもワンテンポ遅れてしまう子供がいる。けれど、どんな性格をしていようと子供は考えるのが好きだ。まこ先生は、そう言った。どんなにおっとりした子でも、その子なりに「自分で考える」のは楽しいのだ。頭を使うのはよろこびなのだ。

「だから、まったく考える余地を与えなければ、子供は言うことを聞かなくなる。表面的に取り繕うだけになってしまうの。反対に、ちゃんと考えさせれば、子供はきちんと言うことを聞く」

そして自分で考えた結果が「上手くいった」と経験するのが楽しい。1~2歳なら、パンツを自分で履けた。靴下がうまく履けた。そんな小さな成功が、子供は嬉しい。だから子供が何かに初めて成功してたとき、大人がきちんと褒めるのが大切だという。

「なるほど! 子供は褒めて育てるのが正解なんですね!」

「そうは言っても、褒めすぎもよくないのよ?」

「だけど…頭ごなしに怒鳴るよりもいいですよね!」

「怒鳴りたくなることぐらいあるわよ。人間だもの」

40年近く子供と向き合ってきた人は、考え方の“厚さ”が違った。

「すごい、すごいと何をしても褒める親がいるけれど……褒めすぎると、今度は『すごい』と言われないと不安な子供に育ってしまうの。トイレに行っただけで『すごい?』と親に訊く。靴を履けただけで『すごい?』と承認を求める。できて当たり前のことを褒めるのは、子供にとってプラスにならないと思うわよ」

まこ先生は言葉を区切った。

「それから、今の親たちは忙しいでしょう。朝から晩まで働いて、くたくたに疲れて帰宅する。なのに子供はタダをこねて、まったく言うことを聞かない。そんなとき、怒鳴るなというほうが無理でしょう。どんなときでも笑顔を絶やさないのは、超人的なお母さんにしかできないわ。大人だって怒ることもあれば、キレることもあって当然。人間なんだから」

私はおずおずと答えた。

「そうは言っても……子供に対してムキになって怒るのは、やっぱりよくないことだと思います」

「そうね。子供の扱いに慣れていたら、怒らないで済むかもしれないわね。大人がカッとなるのは、子供に言うことを聞かせる方法が分からないからだと思うの。どうしても子供が言うことを聞かないから、どうすればいいか分からなくなって……それで頭に血が昇るんじゃないかしら」

「つまり、子供に慣れるのが大事ってことですか」

「そう、今の親たちは子供に接する機会に乏しい。人によっては、自分の子供ができるまで、まったく子供の面倒を見ずに大人になる」

だから子供の扱い方が分からない。

「たとえば、何を褒めるべきで何を褒めなくていいのかのさじ加減とか、疲れ切っているときでもキレずに済ませる方法とか、そういうものは子供と接してみないと分からない。子供と向き合った時間が長ければ長いほど、子供がどういう生き物なのか分かってくる。そして、うまく子育てができるようになる。私はそう思うわ。……ところで、あなたは結婚していなかったわね。あなたの身近に子供はいるかしら?」

「はい、姪っ子たちと……あとは子持ちの友人が何人かいます」

「だったら、その子たちとできるだけたくさん会っておくといいわね。あなたの知らないことを、子供はたくさん教えてくれるはずよ」

「そうすれば、私にも魔法が使えるようになるでしょうか?」

「魔法?」

まこ先生は首をふる。

「そんな大それたものじゃないわ、私は自分にできることをしていただけよ。私には保育ぐらいしか、できることが無かったから」

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4gifs:

Paper airplane machine gun. [video]

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kotoripiyopiyo:

poochin:

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自信の上には奢りがあり、謙遜の下には卑屈がある

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自信の上には奢りがあり、謙遜の下には卑屈がある

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 そして当時、難題だった窒化ガリウムの結晶を成長させる装置に工夫と改良を重ね、ついに世界初の青色LED開発に成功した。だが、天野教授の挑戦はそこで終わりではなかった。その後の実用化に向けて試行錯誤を重ねていく。そして当時、意識していたのが、まったく同じ分野で成果を出し始めていた中村教授の存在だった。

 青色LEDの輝度を高めるため、窒化ガリウムにインジウムを添加する実験。当初うまくいかなかった天野教授は「中村先生がちゃんとできますよ、非常に明るいですよということを発表されて、じゃあといってやり直してみると、今度はできちゃう」ことを経験した。

 それは「何かをやるときに、必ずできると信念を持ってやるのと、ダメだろうなと思ってやるのとの違いを、この時ほど痛感したときはありませんでした」という教訓として語っている。
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横入りしてすみませんが、私は澤本さんよりちょっとお姉さんで大学生だったから、時代が変わったあの節目は、もう強烈に覚えているんですよ。私はYMOのロンドン公演にも行っていて。

澤本:え、行ったんですか。わざわざ?

わざわざ行ったんです。

細野:えっ、あの、1980年10月の? えーっ、それはすごいな。そんな人、いたんだ。だって、会場に日本の人、いなかったでしょ、あんまり。

あんまりいなかったです。イギリスの人ばっかりでした。

細野:ロンドンはYMOの世界ツアーの最初の公演で、強烈だったな。コンピューターが熱で暴走しちゃって、途中からコンピューターなしで自力でやっていたから、生バンドだったんです、あれ(笑)。

全然分からなかったです。聴衆は熱狂して、踊っていました。

細野:熱狂していた。それは覚えている。

熱狂し難い音楽なんだけど、熱狂しているんですよ。

細野:そうなんですよね。だって自分で言うのもナンですが、不思議な音楽だものね。日本でも、最初はテクノなんて全然分かってもらえなかったですからね。

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